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sage

  • [151]
  • ソフト編14 通巻NO.132

  • 投稿者:男の隠れ家 我楽多亭オーナー(コロちゃん)
  • 投稿日:2016年 5月 4日(水)14時33分8秒
  • 編集済
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2週間のご無沙汰で~す。


◆◆◆ ◆ ◆  ◆ バットマンvsスーパーマンの決戦! ◆  ◆ ◆ ◆◆◆

カリアゲ君 もとい コロちゃん(我楽多亭のオーナー)は、TOHOシネマの会員だす。
えへん! といっても大したことありゃへん。年会費500円払い、年間5回観れば、
1回タダで観られるということ。まだ1回しか観ていない、急がねば!暇だったので
(いつも暇)、映画《バットマンvsスーパーマン》を鑑賞。

本当は、バットマン、スーパーマンとも正義の味方のはずだが、この映画前半では、
スーパーマンが悪役になり、バットマンがスーパーマンをやっつけるストーリーなり。
そもそも、この映画の企画が良くない!。2人のヒーローを登場させて、1+1=2の
興業収入を当て込んでいるのがミエミエ。その日は平日で、5分の入り。

後半、怪獣エイリアンが登場し、いつの間にか、バットマン、スーパーマンとワンダー
ウーマンが三つどもえで、怪獣エイリアンに立ち向かう。
ともかく、ストーリーがめちゃめちゃ。


◆ ◆ ◆  ◆ 映画《家族はつらいよ》コロちゃん離婚の危機か!◆  ◆ ◆ ◆◆◆

後味悪かった映画を観たので、気分直しに、山田洋次監督・作品の《家族はつらいよ》を観る。
熟年爺さんは、酒好きの悠々自適生活。一方婆さんは、長年爺さんのわがままを、
ジッと我慢したが、もう限界だ・・・と離婚届を差し出す。
奥方と一緒に観たが、そのシーンで奥方が、あんた!他人ごとではないわよ!と、
コロちゃんをつっつく・・・。
なんだ! なんだ! 警告か!!!。


◆◆◆ ◆ ◆  ◆ ジェローム・カーン特集に感動!  ◆  ◆ ◆ ◆◆◆

柳沢正史さん主宰、第10回メグ・ジャズ・イン・シネマは、第1部:ジェローム・カーンの
曲が流れる映画を2本上映(抜粋)。ミュージカル《ロバータ》と《LOVERY TO
LOOKAT(日本未公開)》。劇中流れるジェローム・カーン作曲の「煙が目にしみる」と
「YESTARDAYS」が、特に印象に残る。

第2部:ジェローム・カーンのヒット曲映像集。プラターズの「煙が目にしみる」を観て、
メンバーに女性一人がいることを初めて知る。

第3部:お宝SPレコードを蓄音機で聴く。江利チエミの「テネシー・ワルツ」がエかった。
柳沢正史さんは、チエミは、美空ひばりと比べ評価が低いと解説されていたが、どっこい
当時のスイング・ジャーナル誌の日本人女性ボーカル部門では、常に1位。
コロちゃんは、今でも日本の女性ジャズ・ボーカリストとして、ナンバー1だと思って
おりやす。


◆◆◆◆ ◆ ◆ 女性ジャズ・ボーカルを確立!byビリー・ホリデー ◆ ◆ ◆◆◆◆

続いて、ビリー・ホリデーのコモドア盤SPレコード「YESTARDAYS」を聴く。
【写真①】は、LPレコード。
この、レコードの日本語解説書では、1944年録音になっている。
【写真②】のビリー・ホリデーのコンプリート・ディスコグラフィで調べたら、1939年
4月録音であり、日本語解説書は、間違い。
ビリー・ホリデーの唄を聴くには、サイドメンの情報が大事。このディスコグラフィ
(A4版194頁、1933年10月~1959年5月までの録音データ網羅)は、
座右の書なり。

【写真③】は、ビリー・ホリデー(1915-59)の自叙伝「奇妙な果実」。
彼女の最大のヒット曲をタイトルとする。
父親は、フレチャー・ヘンダーソン楽団のギタリスト。離婚後虐殺される。ビリーは、
母親13歳の時の子供、貧乏で、小学校5年で中退、黒人・ニグロとして徹底的に差別を受ける。
しかし、白人のビックバンド・アーティ・ショウ楽団では、楽団員全員が、盾になり、彼女を
支える。アーティ・ショウは人格者だ。半分読み終えた段階だが、読み応え充分。


◆◆◆◆◆ ◆ 2次会でショック!コロちゃんは、もう使い物にならない! ◆ ◆◆◆◆◆

メグ・ジャズ・イン・シネマの二次会は、有志で近くの焼き鳥屋でワイワイ盛り上がる。
そこで、我楽多亭131号の猫の井戸端会議記事が話題になる。
猫好きのN嬢いわく、野良猫は、捕獲し、繁殖しない手術を施し、証として耳の上部を切るとの
こと。するとK嬢は、コロちゃんの耳の上部も同様に切れている!と叫ぶ。するていと、
コロちゃんは、もう使い物にならない!・・・。


◆◆◆ ◆ ◆ ◆ 秋吉敏子のデビュー70周年リサイタルを聴く ◆ ◆ ◆ ◆◆◆

先日、夫ルー・タバキン(テナー・フルート)と、秋吉敏子(ピアノ)のデュオを聴く。
【写真④】右は、リサイタルのチラシ表紙。右は、秋吉敏子実筆のレター。
秋吉敏子思い出の地横浜での彼女デビュー70年記念リサイタル。会場横浜アレンガ倉庫
(定員400名)は、満員の盛況。彼女86歳。もしかしたら、今年で最後か・・・。
いつもリサイタルの最初に「黄色い長い道」で幕開け。最後は、原爆投下地広島をテーマに
した曲「ホープ」で締めくくる。

【写真⑤】は、朝日ソノラマ(ソノシート盤)「黄色い長い道」オリジナル。貴重盤。

【写真⑥】は、横浜野毛 ジャズ喫茶「ちぐさ」オーナー吉田衡(故人)が執筆した、
 1985年間《横浜ジャズ物語》。1933年日本で珍しいジャズ喫茶をオープン。
 秋吉敏子、渡辺貞夫等、ジャズを聴きに集まる。

秋吉敏子は、1929年(昭和4年)満州生まれ、戦後1947年九州の駐留運クラブで
ジャズ人生スタート。米国にわたり、日本人で初めてバークリィ音楽院で学ぶ。
世界に通用する、唯一の日本人・ジャズプレイヤーなり。